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文月№7

 

本日は、夏には欠かせない「かき氷」の日!だそうです。かき氷の別名が「夏氷」と言うことも有って語呂合わせで「な(7)つ(2)ご(5)おり」となることと、1933年(昭和8年)のこの日にフェーン現象によって山形県山形市で当時の日本最高気温40.8度を記録した事に因み、かき氷を食べるのにふさわしいと!されたそうです。

かき氷の歴史は古く、平安時代に遡ります。清少納言の『枕草子』に『削り氷(けずりひ)』が最初と言われて居り、『枕草子』第40段「あてなるもの」(上品なもの、良いもの)の中で、「削り氷に甘葛(あまずら)入れて、あたらしき鋺(かなまり)に入れたる」と言う一文が有ります。現代語に訳すと、「削った氷に蔓草の一種である甘葛(あまかずら・あまずら、蔦の樹液を煎じた汁のことで、蜂蜜に似た甘味料)をかけて、真新しい金属製のお椀に入れる」となります。

 

冷蔵庫もましてや製氷機も無い時代、夏の氷は大変貴重なものでした。冬の間に天然の氷を切り出し、山奥の穴倉や洞窟の奥に「氷室」と言う貯蔵施設に保存をし、夏に切り出し、都まで運ばせて、宮中などでは、暑気払いに用いられたようですが、切り出した時、大きかった氷も御所につく頃には、可成り溶けてしまって小さくなってしまったようですが、勿論一般庶民が食せる訳もなく、その氷を小刀で削って食べる事が出来たのは、一部の貴族階級の人達だったようです。

庶民の味として、氷を食べることが、可能になったのは江戸時代も末期になってからで、その頃になると、船で北国の氷を大量に江戸へと運べる様になった為、日本で初めての氷屋も開業して、広く庶民が口にする事が出来る様になりました。

又、日本初のかき氷屋「氷水屋」は文久2(1862)年の夏、箱根や諏訪湖から氷を運んで、横浜の馬車道通りにオープンさせましたが、店をはじめた当初は、「腹を壊す」と言う噂等で中々売れなかったそうです。しかし、ひとたび安全だと分かると、暑い夏には爆発的に売れたそうです。当時の金額で1杯2文、2時間待ち!というほどの人気だったそうです。

今でも、SNSや口コミで有名なかき氷屋さんには、長蛇の列ができますね。

暑い夏には、何と言っても!「かき氷」ですが、くれぐれも食べ過ぎて「腹を壊す」事のない様に!冷たく、美味しいかき氷を、今年も楽しみたいものですね。

 

高田司法書士事務所

 

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