コラムCOLUMN

thumbnail 葉月№7

葉月№7

 

車を運転するときや道路を横断する時になくてはならないものが信号機ですね。その『交通信号設置記念日』は毎年8月20日に制定されています。

1931年(昭和6年)8月20日に銀座の尾張町交差点・京橋交差点など34ヶ所に、3色灯の自動信号機が設置された事に由来します。

日本での、初めて“信号機”は1930年(昭和5年)3月に日比谷交差点に設置されましたが、これは米国式で、灯器を交差点の中央に設置する中央柱式でした。

当時の日本人の大半は、色灯による交通信号を理解出来ずに従わない人が殆どだったそうです。当時、大正半ばから昭和初期にかけては、警察官が「挙手の合図」や「信号標板」で交通整理をしていて、色灯の信号機は見た事が無い方が殆どだった為に中々馴染めなかった様です。

その為、交差点の四隅にたくさんの警察官を配置し、信号の青灯には「ススメ」、黄灯には「チウイ」、赤灯には「トマレ」と文字など添えて工夫し、信号機への理解を促したそうです。

信号機をよく見てみると、左から青・黄・赤となっています。これは、信号機の中で一番重要な赤を道路の端から中央の位置に配置することで、運転手から見えやすくし、安全運転を促す為だそうです。地方によっては(豪雪地帯など)雪によって信号機が埋もれないように、縦型の信号機が設置される事も有り、その場合でも赤色が目立つように一番上となっています。

全国に有る信号機は、市民の安全を守る為、昼夜24時間休むことなく働いてくれて居りますが、その電気代は、警察署が負担しているそうです。家庭用の料金に換算すると、年間383億円にもなるそうです。

少しでも電気代を節約しようと、ⅬÉⅮ照明等を使った省エネ信号機に変更したりと、色々工夫をされています。

日本では、昭和30年頃から自動車台数・運転者数が増加し、「交通戦争」なる有り難くない言葉が流行語に選ばれるなど、交通事故死者数が激増しました。ピークに達した1970年(昭和45年)には年間の交通事故発生件数が70万件を超えて、16765人もの方の尊い命が奪われました。その後、道路交通環境の整備や、交通安全思想の普及徹底等の努力のかいもあり、徐々に交通事故は減少傾向にありますが、2020年時点でも、未だに2000人以上の尊い命が交通事故により失われています。

当方も、毎日運転をする生活を送って居りますが、ハンドルを握る際は、鉄の塊を動かしている!と言う意識を忘れずに、何時も安全運転を心掛けて居ります。

毎日、毎日交通事故のニュースが流れる日々ですが、尊い命が失われる事の無いように、今日も、安全運転を心がけたいものですね。

高田司法書士事務所

MENU