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長月№5

 

本日は、「マラソンの日」で有ります。マラソンの由来となった「マラトンの戦い」が紀元前450年の9月12日に起こったとされています。

 

マラトンの戦いは、「ペルシア戦争」と言われる大きな戦争のなかの戦いの一つです。紀元前5世紀に、ペルシアがギリシャに侵攻しました。当時のペルシアは、現在のトルコ全域を含む東はインド国境から、西はエジプトの一部までを支配する大国でした。一方、ギリシャにも、アテネやスパルタという高度な文明と、軍事力を持つ都市が控えていました。

ペルシア王は、領土拡大計画の一環として、豊かなギリシャに目を付け、4度にわたり侵攻を試みます。その中で「マラトンの戦い」は起きました。

マラトンの戦いでは、ペルシアの軍勢はアテネ軍の1.5倍~2倍だったようですが、この戦いで勝利を収めたのは、劣勢だったアテネ軍でした。

そして、此の「マラトンの戦い」が“マラソン”の起源となりました。

アテネ軍の兵士の1人が、アテネで待つ人々に、一刻も早く勝利を伝えようと、重い装備のまま走り続け、勝利を告げた途端に力尽きたそうです。彼の功績をたたえ、マラトンからアテネ迄の距離『40㎞』を走る競技=マラソンが生まれたとされていますが、神話に過ぎないとの説が有力なようです。

今では、マラソンコースの距離は『42.195㎞』とされていますが、当初は「約40㎞」であれば良いとされ、大会毎に距離も違っていたそうです。

『42.195㎞』が初めて採用されたのは、第4回ロンドンオリンピック(1908年)でした。当初の予定では、『42㎞』でしたが、イギリス王妃アレクサンドラが観戦する為、スタートとゴールを移動させた為、距離が伸びたと言われています。そのせいか、本番で、ゴール直前に体力を使い果たして、トップだった選手に悲劇が起こります。イタリアの選手で後に「ドランドの悲劇」として語り継がれました。後に、此の悲劇を忘れない為にもと、第8回のパリオリンピック(1924年)以降、マラソンの距離を固定し現在の『42.195㎞』とされました。

日本では、マラソン競技は、陸上競技の中でも人気が高いですね、お正月には、箱根駅伝なども開催され、長距離走競技はファンも多いですが、涼しい秋になったら、当方も、重い!身体を、たまには動かしてみようかと…美しい紅葉の中で、久しぶりに汗を流すのもいいかもしれませんね。

高田司法書士事務所

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